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反西洋思想 (新潮新書)
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| ジャンル: | 歴史,日本史,西洋史,世界史
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| 人気ランキング: | 60439 位
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近代史・思想を考える上で、とても参考になる本
この本の面白いところは、毛沢東主義からナチスドイツまで含めて
論評していることだ。
筆者は、『「西洋との戦い」はヨーロッパ史の一部でもあった』としており、
当然ながら単純なイスラム批判、アジア人批判の書物ではない。
否応なく進む機械化・都市化・商業主義と、それになじめない人間たち。
そこに全世界の人類が示した、あるいは現在も示し続けている共通項が
あるのではないか?というのが筆者の主張である。
非常に大まかなとらえ方なので、各地域の思想や史学の研究者からは
不満の声もあがっているのかもしれないが、こういった「まとめ作業」
も現実に必要とされているように思えてならない。
こういった意見に耳を傾けると、グローバル化といったものが昨今
突然に始まったものではなく、100年の単位で我々を巻き込んでいる
問題なのだと言うことがよく理解できる。
思想の記憶喪失、思想の罠
個人的には、次の2点のような感想を持った。
(1) ロシア、日本、中国、東南アジア、インド、イスラーム諸国などの
「民族派」に多大な影響を与えた「反西洋」思想のひとつの淵源を、
18世紀末?19世紀前半に、フランス革命への対抗思想として生まれた、
ドイツロマン主義の中に見出せるのではないかということ。
「理性偏重の・冷たく・機械的で・堕落した・都市の」西洋文明に対して、
「感情を重んじ・温かく・有機的で・素朴な・農村の」ドイツ文化を置く、
といった思考のパターンは、20世紀の種々の全体主義運動においても繰り返されているが、
それらはことごとく失敗に終ったか、失敗しつつある。
ここには、「反西洋」思想もまた、西洋起源のものであることについての、
体のいい「思想の記憶喪失」があるのではないか、という著者たちの指摘は鋭い。
(2) 本書で直接に論じられてはいないが、20世紀後半から現代にかけての
「オルタナティブ」で「反グローバリゼーション」的な思想運動
(環境保護、有機農法、反原発、スローフード等々)においてもまた、
その深層には同様の思考パターンが読み取れるように思われること。
この「思想の罠」に気づかずに絡め取られている限り、
これらの運動は、あらかじめ深刻な限界を抱え込んでいるのではないか?
近代西洋起源の価値観(自由民主主義、資本主義、個人主義、等々)が
最上のもの、あるいは「ベストではないがベター」なものであるかについて、
著者たちは明白に示さないながらも、暗に肯定しているように思われる。
(私自身は、歴史上の「反西洋」思想には一定の意義があったと考えているが。)
そのような著者たちの姿勢に、無意識の優越感や嫌らしさを嗅ぎ取る読者もいるだろうが、
「近代の超克」座談会からオサマ・ビン・ラディンまでをカバーする守備範囲の広さや、
論述の手さばきの鮮やかさには、やはり特筆すべきものがあり、
本書を読むことで、「911」後の世界を見渡すための
ひとつの有効な視座を手に入れられるように思う。
近親憎悪はやはり恐ろしい
おおまかに言って著者二人の論旨はきわめてまっとうなものだと私は思います。 西洋嫌いは、西洋を多く取り込んだ、“遅れた国”においてもっとも顕著なものであることであること(つまり近親憎悪的なもの)、これは古い歴史を持ちながらも、明治以降まったく異なる文明を切り貼りしてやってきた日本人には今更言うまでもない本音だと思います。
著者たちはさらにもう一歩つっこんで、近代西洋が生み出した合理主義と理性偏重の、何が人々に嫌悪をもよおさせるのかについて、それは非英雄的であり、強い意志を萎えさせる何かいい加減な正当さの主張(平たく言えば自己チュー)にあるとも指摘していますが、これも恐らく多くの現代日本人が日々感じているところではないでしょうか? ではそういう現代世界において、西洋は非西洋の国々に、西洋流を押し付けずに共存していくための新しい理論を彼らの側から発信することは出来るのでしょうか?(これはどうも絶望的のような気がしますが) さらにもっと重要な事は、我々非西洋人は、西洋に劣等感を感じることなく、我々独自の文明・哲学を再構築することが出来るのでしょうか? 正直言って、現代の文明論者、哲学者に我々が求めるものはそういったモデル理論なのですがー本書においては、そこまではやはり論じられてはいません。 今後に期待します。
読む???
僕はこの著者がfar eastern economic reviewの時代から嫌いなんで、ずっと彼の作品を読むのを避けてきました。オランダ人(一般化のリスクを犯してしまいますが)らしく、みんなを平等に理解したふりをしながら、本質的なことは何もわかっておらずに、自らを中立的な立場において、両者を断罪するというパターンが、どうも昔から鼻について避けてきました。じゃどうして今回読んだのか?という疑問が出てきますが、実は「この作品がisiah berlinの影響を受けた」と著者があとがきで述べていたからでした。そして註に出てくる作品がほとんど私が過去に読んだ作品とダブっていたからでした。特にberlinの著作は私も、もう数十年読んでいるわけで、「そうか読んでみましょうか」というわけなったわけです。結果は、予想したほどにはひどい作品ではありませんでした。部分的には、ロシアのインテリゲンチャとドイツロマン思想の素晴らしい解説になっています。ただ自分の論旨にうまくはまらないmaistreなどのフランスの反動思想はきれいに無視されていますが。結論から言うと、「反西洋思想の源流は西洋にある、それもドイツとフランスの反動思想にある」といってるわけですが、 これはこれで素晴らしい結論です。でもここまで著者が言うように割り切れるのでしょうか?しかし相変わらず耐えられないのは、やはり日本の部分です。はたして、本当に日本に、そんなにイスラムと比べられるほど危険な思想があったのでしょうかね? そして特攻隊の遺書を、この中に並列でおくことは可能なのでしょうか?
それは確かにその通りでもあるのだが、、、
まず、とりあえず面白いです。ほんとに。ただ、ちょっと後ろめたいような面白さでもあります。確かに、彼らはそうなのです。そして私たちは違う。そんなほのかな優越感を憂鬱な表情の中に隠している自分を発見してしまう本であります。、、、いえ筆者の言っていることはその通りであるのです。ただ、インテリ(死語だ)が愚昧な民衆を憂い、でも何もしない、という雰囲気が、、、おそらく筆者のせいではなく私自身がそうであるから、そう感じるだけのことなのでしょう。個人的には読後感がとても辛い本でありました。
新潮社
近代日本の誕生 (クロノス選書) 日本の200年〈下〉―徳川時代から現代まで 日本の200年〈上〉―徳川時代から現代まで 戦争の記憶―日本人とドイツ人 (ちくま学芸文庫) 近代による超克〈下〉―戦間期日本の歴史・文化・共同体
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